第五話 いそぎんちゃく

11.乳輪


 「く……くそ」

 トラジマのウェトスーツを着た若者−トラジマは頭を振りながら体を起こした。

 彼はアカフク、シロフクと共に丘の上にいたが、土砂と共に流されてしまい、いままで意識を失っていた。 

その為彼は、自分たちがいた島が『巨大いそぎんちゃく』であることにまだ気がついていない。

 「何が起こったんだ」

 頭からバラバラと土塊を落としつつ立ち上がり、辺りを見回す。 彼が立っているのは平坦な場所で、地面は白く、

三方は開けており、残る一方には丸身を帯びた巨大な岩が視界を遮っていた。

 「なんだ? でっかい鏡餅みたいな岩だな……おや、岩にへそがある」

 彼の正面の岩肌に、木の切り株の様なでっぱりがあった。 通常、切り株は上を向いているが、この『切り株』は

真横を向き、彼に平らな面を見せている。

 「丸い岩と切り株……ふむ、へそと言うより乳首か。 『乳が岩』とでも名づけるか」

 呑気な事を言いながら、トラジマは『乳が岩』をつぶさに観察する。 見れば見るほど、大きな乳房に見えてくる。 

いや、他のものには見えなくなってきた。

 「……」

 一筋の汗が額に流れた。 トラジマはようやく、自分たちが化け物から逃げていた事を思い出し、『乳が岩』から

視線を上げていった。 はるか上を振り仰げば人の、女の顔にしか見えない物が見える。

 「……ば、ばかな……」

 トラジマはその場に尻餅をついた、腰が抜けたようだ。 そのまま体をひねり、四つんばいで『乳が岩』、いや『巨大

いそぎんちゃく』の乳房と反対方向にいざリ出した。 

 「……待てよ……」

 トラジマは、地面をよくよく見直す。 真っ白な大地は土でも砂でもない、何か皮のようなもので出来ている。

 「こ、ここは『いそぎんちゃく』の手の上か……」

 そう、トラジマは『巨大いそぎんちゃく』の手の平にのっており、その手は乳首の前で水平に構えられていた。 

トラジマは慌ててウエットスーツの袖を引っ張り、手のひらを覆う。 直に『いそぎんちゃく』に触るのは危ない気が

したのだ。

 「膝は破れていないな。 に、逃げないと」

 何故か『巨大いそぎんちゃく』に動きは無い。 逃げるなら今のうちだと、トラジマは急いで手のひらを横断し、縁に

たどり着くと下を覗き込む。

 「む……」

 下には泡立つ海とV字型の入り江が見えた。 『いそぎんちゃく』の大きさを考えると、入り江は太ももに違いない。 

すると入り江の奥は、『いそぎんちゃく』の……

 「ありゃ? するとこいつの体はほとんど海の上……この辺りは以外に浅いのか?」

 飛び込めない高さではないが水深が判らない。 海底にぶつかって首の骨でも折れれば元も子もない。 トラジマは

他に降りれそうなルートはないかと振り返り、硬直した。

 
 ビクリ……ビクリ……

 『乳房』がゆっくりと脈動し、『乳輪』の部分に幾つかのこぶが出来ていた。 そのこぶが膨らんでいき、飛沫を撒き

散らして弾けた。

 「……」

 こぶが弾けた後には、ゼンマイの様な物が見えた。 『ゼンマイ』は巻紙のように解け、先が細い鞭のような形になる。 

全ての『ゼンマイ』が解けると、『乳房』は『乳首』を口とした『いそぎんちゃく』そのものの形となった。 さしずめ

『乳ぎんちゃく』といったところか。

 「……し、正体を現したか。 化け物め……」

 トラジマは、視線を左右に送り、逃げ道をさがす。 『巨大いそぎんちゃく』の大きさが幸いし、トラジマと『乳ぎんちゃく』

の間には10m近い距離があった。 見たところ、触手の長さは人の身長ほど、近づかなければ掴まらないはずだ。

 「伸び縮み自由じゃありませんように……ぬ?」

 『乳ぎんちゃく』の『乳首』の上に、一際大きなこぶが出来ていた。 そのこぶは飛沫を上げて、複雑な形に解けていく。

 「こ、こいつは?……」 

 滑った音を立て解けきった『触手』には『腕』と『頭』があった。 触手の先が三叉に別れ、真ん中が丸い塊で『頭』になって

おり、左右の触手が水平に伸びて『腕』を形成している。 足はなく、胴体に当たる触手は『乳首』のすぐ上から生えている。

 (こいつが、『乳首』の本体? 『いそぎんちゃく』よりは『蛸』か『海蛇』だぞ) トラジマは、頭の中で文句をつけた。

 ホロロ、ホロロ……

 『触手女』が鳴いた。 よく見ると『頭』に『顔』が出来ている。 不気味な体に似合わず、けっこうな美女だ。 『触手女』の

体色は乳輪と同じ褐色だが、『顔』と『胴体』の腹側だけは白くなっており、女が被り物をしているようにも見えた。

 ホロ、ホロロ……

 『触手女』は腕代わりの触手をだらりと垂らし、トラジマの方を見た。

 (来るか……しかし、あいつの体は『乳輪』から生えている。 動けないのでは?)

 トラジマは、しゃがんだ姿勢のまま『触手女』を凝視する。 暫時、動きが止まる。


 ホロロッ……

 『触手女』が鳴いた。 続いて、『乳ぎんちゃく』の『触手』が伸び始めた。

 「やっぱ伸びるのかよ!……ありゃ?」

 『乳ぎんちゃく』の『触手』はトラジマに向かってこない。 手のひらの上をのたくり、トラジマの左右に進んでいく。

 「?……あっ!」

 今度は『触手女』の胴体が伸びた。 彼女は左右に体を揺らしつつ、一直線にトラジマに向かって来た。 避けようにも、

左右では触手がのたくっている。 あとは背後しかない。

 「……くそ!」

 意を決して飛び込もうとしたその刹那、足元が揺れその場に転がる。 彼は足の下が『巨大いそぎんちゃく』の手のひらで

ある事を失念していたのだ。 這いつくばって、触手の中に転がり込むのは避けたが『触手娘』は眼前に迫っていた。

 「わっぷ?」

 『触手女』は予想外の行動に出た。 彼に抱きつき、激しく口を求めてきたのだ。 滑る舌が滑り込み、彼の舌を絡め取る。

 「……」

 『触手女』の口づけは、蕩けるように甘かった。 呆然としたトラジマの体に腕代わりりの触手が巻きつく。

 「……」

 情熱的な口付けに翻弄されるているうちに、トラジマの胸元に触手が滑り込んできた。 チキチキと音を立て、ウェットスーツ

のジッパーが開いていく。

 (柔らかい……)

 トラジマは、胸に触れる触手の感触が柔らかいことに気がついた。 横目で見ると、蛸の腕のような触手に吸盤に似た

突起が並んでいる。 その吸盤は乳首の形をしていた。

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